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【わたしのたまごのわりかた#6】 高見原担当 小山

高見原担当の小山夢です。


「わたしのたまごのわりかた」

今までわたしがどのように踊ったり作ったりしてダンスに触れてきたのか

これからどのように制作していきたいのか

ここで少し語らせていただきます。




小学4年生の頃、友達にダンススクール通ってみない?と

体験レッスンに誘われたことがきっかけでダンスをはじめました。


そこからヒップホップ、ロック、ジャズ、ポップなどのストリートダンスに長く親しんできました。

ダンスレッスンに行くと友達に会える、

友達と踊っていく中でもっとうまくなりたい!と刺激をもらう、

そして、少しずつ、できないことができるようになって、ダンスが踊れるようになっていく。

このような過程が

わたしのダンスを続ける原動力、ダンスを通して味わう充実感、達成感を生み出しました。


ダンスをはじめて数年、ふと気付いたことがありました。

それは、ダンスが本当のわたしを表現するツールとなっている、ということ。

小中学生の頃、自分の言葉で何かを伝えたり、本音を言うことが特に苦手だったわたしは

ダンスを踊ることで無意識に内面にあるわたしの意志を表現していたように思います。

そして、いつしかわたしでない誰かになりきって踊るという感覚が

とても楽しい!と感じるようになっていきました。


高校ダンス部、大学ではクラブチームに所属し、

形を揃えることに焦点を当てダンス制作、練習を行っていました。

また、大きな目標、大会での勝利という結果に重きを置くようになりました。

実際に努力の結果が優勝という形であらわれる喜びは

とても満足感があり、人生の糧となる経験となりました。


しかし、親元を離れて暮らし始めた大学時代、

わたしは人生で初めてダンスでの大きな挫折を味わうことになります。


今まで通りダンスが楽しく踊れなくなってしまったのです。


心も身体も成長していく中で、自分の弱さと上手く向き合えず、

ダンスを踊る意味を見失った時期でした。


でも、そんなとき、一人のダンサーさんの踊りが

私のダンスへの愛をもう一度蘇らせてくれました。


ただただダンスを心から純粋に楽しんで踊っている、その姿が、すっと私の心に入ってきました。


ダンスって楽しむものだよね、と。


そこから、アメリカでダンスを踊ってみたい興味がわたしを動かしました。

半年の留学期間、現地の大学のヒップホップダンスサークルの仲間と

ストリートダンス、フリースタイルダンスを共に踊った経験。

ここで、

「ダンスとは、ユニバーサルランゲージ、世界共通語」 であることに気付きます。


言葉は通じなくても身体表現で心が通じるダンスは

素晴らしい芸術だと

そして、ダンスは人と比べるのではなく、

どんなときでも心から楽しんで踊っていくことが

一番大切だということを彼らから学びました。



そして そして


パンデミックの中で偶然にも つくばで出逢った

今いる筑波大学舞踊研究室の仲間からも沢山学ばせてもらっています。


まず、こんなにもダンスを愛している人たちがわたしの周りにいること。

それは、わたしにとって大きな存在で

みんなのダンスへの愛がわたしのダンスとの関わり方にまた変化をもたらしています。

どのように変化していくのかこれから楽しみです。


まだまだ未熟な人生経験でのダンスとの触れ合い話はこんな感じです。(笑)


ダンス制作について。


担当の高見原にある、木材、野菜からアート作品を制作し、

ダンスに繋げていけたらと思います。


ダンスの創作に関して、ほとんど経験がありません。

しかし、1つ1つの初めてを楽しんで進んでいきたいと思います。


ダンスを通して沢山の人と繋がり

アートで大きな遠心力を生み出せますように。

そして

ダンスの素晴らしさが沢山の方々の心へ届きますように。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

また書きます。















 
 
 

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